体験レポート(東京から)


この2年間、イタリアの劇団員と同じ舞台に立ち表現活動をする夢を抱いて、東京チームのみんなと一緒に歩んできた。しかし新型コロナウイルスの感染拡大は歯止めがきかず、思ったような活動を阻まれてしまった。僕自身は、東京チームの中にいるとはいえ、一人、東北に離れ、しかも医療機関に身を置く立場のため、本来の腰の軽さを発揮できず、チームのみんなと歩をそろえることができなかった。

芝居や歌唱の練習ができないというだけではなく、みんなと会うことすらできないという日々が続いた。事業の目標とする表現形式はこの2年で大きく様変わりをし、直接にイタリアの劇団員の中に混じることは許されず、チームごとに場面の撮影を行い、編集されて一つの作品になるのだろう。当初の夢のような舞台の実現がかなわなかったことはとても残念だが、それでもこの2年間、苦しみながらチームのみんなが結果を出してきた経緯は敬服に値する。そしてその結果、昇華したものが映像化されているように思う。

計画の変更や修正を余儀なくされた2年間の長い期間は、一方ではメンバー1人1人を知るための大切な時間だった。一人一人について話し始めるときりがないのだが、魅力的なところも、能力も、苦労しているところも、もろさも、やっとやっと理解でき始めているところ。それぞれが素晴らしく温かくて、思いやりがある個性豊かなメンバーだった。僕個人は、最後まで積極的に東京チームの活動に関わることができず、悔しい思いをしているが、それでもここにいさせてもらったこと、素晴らしい友人に巡り合えたことにはとても感謝している。ここに来なければ出会いはなかった。10月10日は終わりではない。また何かを始める日になればよいと願っている。

上島 雅彦


演劇、それは深い海の底。太陽の光も通らない深海。想像すると何が起こるかわからないドキドキ感。ものすごく大きな深海魚。宝の山を積んだままナンパした海賊船。そして、海底へと沈んでいった人々の叫び。今セリフを覚えている。これが僕の初めてのセリフだ。この前の稽古は、散々に打ちのめされた。撮影本番までには、自分のものにしよう。自分の心の宝の山を目指して。演劇、僕にとっては未知数だ。

病衣・入院生活を懐かしく思い出した僕の人生の振り出しは、葛飾橋病院の保護室で、病衣姿で頑丈な鉄パイプでこしらえてある部屋の天井見ながら月日を数えた。あの頃を思い出した。それは、嫌な思い出ではなく、それらの日々があったから今こうしていられるのだと、拘束されてもその辛さがあったからこそ今があるのだと強く思える。

大嶋 隆弘



コロナ禍に苛まれたこともあり困難なプロジェクト進行であったが、ひとまず撮影(8月22日)を終え人心地がついた。この素材がどのようにまとめられるのか現時点で知る由も無いが、関わってくださった皆様に感謝したい。

日本にイタリア「アルテ・エ・サルーテ劇団」のような障害者演劇を根付かせるには、既存の公演制作プロセスを参考にしつつ、健常者よりも個別の事情を慮る必要がある障害者当人たちがある程度は安心して(演じることは心にさざなみを起こすことから切り離せないと考えている)演劇そのものに集中できる環境づくりが不可欠であると痛感した。

かなぶん


イタリアの精神当事者のプロの劇団と一緒に舞台に参加できると期待した2020年の春。まさかの新型コロナウィルスの出現と蔓延。イタリアには行けなくなったけど、コロナ禍によりZOOMで浜松、名古屋、大阪とも繋がることができた。そして、2020年10月10日、イタリア文化会館で各地とイタリアのみんなで『Matti sì, ma schiavi no!(狂人だけど奴隷じゃない)』を歌うことができた。2021 年には、ワクチンも進んで今度こそ、イタリアで劇団員のみんなと会えるかもしれない。希望と不安が入り混じりながら期待していたのだけれど、残念。

イタリアへ出演者全員が参加することも、イタリアの皆さんが日本へ来ることも難しいことが現実的になった。そして「マラー/サド」の台本の中から4つのシーンを抜き出したものを各地で出演者が自由に選び、映像化したものをイタリアへ送り、イタリアの映像と合わせて1つの作品を創りあげるということが決まった。わたしは、春先から体調を崩して精神科へ2か月入院している間にその企画が決まったこともあり、想像もつかない企画に落胆もして、急激な流れに最初はついていけないこともあった。けれど、みんなで不安ある中でミーティングを重ねたり、試行錯誤して、途中でつぶれてしまいそうな仲間達と励ましあい、共にあきらめないで未知のことに挑戦できたことは貴重な体験となった。

窪田 清恵(きよちゃん)


「抗精神病薬」と呼ばれる薬は、感情を抑え込む薬だと思う。でも感情は、表現されたがっていて、それは、誰かとつながりたいからだと思う。演劇は、薬のように感情を抑え込むのではなくて、感情を誰かとつながるためのものにしてくれる効果があると思う。

アメリカで「ソテリア・プロジェクト」をはじめたローレン・R. モシャーは、「統合失調症」とされた人たちが、今では「抗精神病薬」と呼ばれるようになった神経遮断薬を使わないで回復できるはずだと考えた。そのプロジェクトは良い成果をだしたのに、精神医療の主流にはなれなかった。
日本のソテリアという名前がついた組織ではじまったイタリア・ボローニャとの演劇プロジェクトは、日本の精神病者にはまだ届いていないかもしれない。でもあきらめないで、進んでいったら、いつか届くかもしれないと思う。

どこに向かっていきたいのか、はじめの思いを大切にして、これからもあきらめずに、進んでいきたいと思う。

松本葉子



「奇跡〜東京チームの軌跡〜」

俳優紹介

たかちゃん ジャック・ルー(「19.エピローグ」)/収容者(「8.マラーの典礼」,「10.ジャック・ルーの熱弁」,「16.哀れなマラーは浴槽の中」)
きよちゃん 悪魔主義者(「8.マラーの典礼」)/収容者(「10.ジャック・ルーの熱弁」,「16.哀れなマラーは浴槽の中」,「19.エピローグ」)
かなぶん ジャック・ルー(「10.ジャック・ルーの熱弁」)/看守(8.マラーの典礼)/収容者(「16.哀れなマラーは浴槽の中」,「19.エピローグ」)
まっちゃん マラー(「16.哀れなマラーは浴槽の中」)/収容者(「8.マラーの典礼」,「10.ジャック・ルーの熱弁」, 「19.エピローグ」)
葉子さん 今回撮影には参加できなかったが、東京チームメンバー
うえちゃん 今回撮影には参加できなかったが、東京チームメンバー

撮影者紹介

株式会社 伝元 大野社長と中井さん
カメラマン 青木 峻さん
株式会社伝元さんにご協力いただきました。伝元さんは、有名なタレントさんも複数所属していらっしゃる会社さんです。今回は、僕たちの企画についてとても理解をいただき、協力いただくことができました。当日は、大野友洋社長と月9にも出演された俳優の中井健勇さん、カメラマンの青木峻さんに現場へ来ていただきました。
撮影なんて初めてで緊張していた私たちでしたが、みなさん私たちのことを俳優として扱ってくださり、各シーンの意図を素早く汲み取り、私たちがやりやすいようにしてくださいました。また、所々で「もっとこうしても良いかもしれない」等の助言やアドバイスもいただき、感動したことを覚えています。

撮影場所 村上医院

村上医院は、昔から江戸川区の地域を支えてきてくださっている医療機関です。昔は2階部分が病床だったのですが閉鎖されています。今回の演目「マラー/サド」は、精神科病院を舞台としており、撮影場所を探す際に、一番最初に思い浮かんだのが村上医院さんの今は閉じられている2階の病床でした。
村上健院長も快く会場を貸してくださり、当日はベッドの移動や道具の移動も手伝ってくれました。撮影も暖かい目で撮影現場を見守ってくださり、僕たちは安心して演技を行うことができました。

協力者

歌唱指導 野元先生
2年にわたり、歌唱指導ありがとうございました 。1年目の発表の際、舞台に立って歌う 僕たちの姿に、涙して聴いてくださったこと、忘れられません。今回の撮影も、最後まで僕らの演技を、見守ってくださったこと、とても感謝しております。野元先生、小さなお体を大切に、そして、迫力のある歌声と、素敵なピアノ演奏、優しいご指導で、いつまでもご活躍ください。

音響・編集 Takuya Fujikiさん(東京ソテリアエンプロイメント)
〔音響+編集Takuya Fujikiさん インタビュー〕

意識、工夫した点は?

音響については、台詞や仕草から長すぎず短すぎずの音の入りを意識しました。工夫としては台詞だけでなく舞台上の状態を目視で確認して音を出しました。
編集については、歌と劇は別で撮ったため口の動きを歌に合わせること、せっかくプロの方に撮影して頂いたのでなるべく高画質で作りたいと思いました。勿論演じている方々の努力を無駄にしないためにも可能な限りいいものに仕上げようと思って編集しました。
稽古に参加してみての感想は?
私は2日間しか参加していませんでしたが、演者の方々がとても丁寧でやっていて楽しかったです。また機会があれば参加したいと思いました。

Fujikiさん、ありがとうございました。Fujikiさんには、リハーサルと本番の2日間を見て頂き、当日はプロの録音スタッフさんとも音の調整をして頂き、本当に心強く、わたしたちも安心して演劇を楽しむことができました。

戯曲講座

くるみざわさん、金田さん、城戸さん、矢花さん
2020年10月10日、イタリア文化会館でのイベント終了後、観に来てくださっていたくるみざわさんに東京チームみんなで挨拶へ伺った際に、たかちゃんが「くるみざわさん、今度戯曲の書き方教えてくださいよ」と何気なく発した一言から全ては始まりました。
その後、くるみざわさんのご厚意に甘え、月2回の頻度で戯曲講座がスタートし、現在も継続しています。少しずつ人も集まり始め、金田さん、城戸さん、矢花さんも一緒に活動してくださるようになりました。
東京チームとして、何か演劇に関する活動をしたいという思いを持ちながらコロナで会うこともできなかった時に、この戯曲講座があったことで、演劇活動に継続して触れることができる機会にもなりました。また、定期的にオンラインでも顔を合わせる機会にもなりました。撮影が近づくにつれ、戯曲講座の時間に少し相談させてもらったり、グループLINEでセリフについて相談できたりと私たちの活動の支えになっていたように思います。そして、何より楽しいです。本当にありがとうございました。そして、11月には自分たちが書いた戯曲を発表することにもなりそうで、今後についてもより楽しみです。

撮影にかけた思いや工夫点

〔4つのシーンを選んだ理由〕
「8.マラーの典礼」/悪魔主義者役 きよちゃん
現実感を喪失している悪魔主義者のセリフがかわいく、面白かったこと、また、男女関係なく役をできそうと思い選びました。自分の世界観だった悪魔主義者が、現実の境遇に対して「檻なんかない!拘束なんてされてない!わたしは逃げるぞ」とさけぶシーンは、演じてて気持ち良かったです。

「10.ジャック・ルーの熱弁」/ジャック・ルー役 かなぶん
せっかくなので台詞がそれなりにあるものを選びましたが、観衆である市民がいるとは言え、一人での台詞は難しいものでした。

「16.哀れなマラーは浴槽の中」/マラー役 まっちゃん
マラーを演じるつもりは全くありませんでした。みんなで撮影シーンと配役を決めていく中で、マラー役が残ったので、演らせていただけました。髭まで伸ばしてみて、マラーに何とか近づこうとしましたが、威厳みたいなものが圧倒的に足りないように感じました。

「19.エピローグ」/ジャック・ルー役 たかちゃん
ただこのセリフを演じたら、女性にモテるだろうなぁと思って、挑戦してみたのです。しかし、一つ一つの言葉が、僕にとっては重すぎて、舟が沈んでしまいました。たかちゃん号沈没。結局、撮影では、セリフを読みながら発表し、女性にモテるどころか、またいつもの、ふられ与三郎になったのでありました。

衣装について

病衣を着た理由は、精神病院が、舞台だからです。その病衣は、どこから調達するか、白羽の矢に立ったのは、メンバーのうえちゃんが働く、竹田綜合病院。うえちゃんは、精神科の先生で、福島にいらっしゃる。今回は、コロナの影響で、お仕事が忙しく、撮影には来られなかったのですが、その代わりに病衣を送ってくださったのです。撮影の時みんな、なんの違和感なく着させていただきました。うえちゃんありがとうございました。

小道具

用意した小道具のほとんどはマラーの身の回りのものです。「マラー/サド」に影響を与えたであろうジャック=ルイ・ダヴィッドの有名な絵画「マラーの死」(1793)を再現しようと試みています。この絵に描かれているコルデーの手紙の文面はコルデーが実際に書いたものとは違うのですが、これも絵画の通りにしました。きよちゃんが何パターンも書いてくれました(何度もリテイクを出してすみません)。
「ジャック・ルーの熱弁」で市民がめいめい手に取る旗の中には、たかちゃんお手製のものもあります。市民が手元にあるものを持ち寄り革命に参じようとしている様が表せているのではないでしょうか。

大道具

〔横断幕〕まだ、コロナが降りかかるとは思わなかった2年前、たかちゃんと身体拘束は嫌だねと会話しながら、出来たのが「身体拘束反対!革命するぞ!どうだ、やぶ医者」というワードでした。お互い、精神科で嫌な思いをしたことがあって…。
今は、たかちゃんもわたしも良き精神科医に恵まれています。笑
他には、「障がい者=奴隷じゃない!」の横断幕をつくりました。みんなで、わいわい悩みながら、書き上げたのが懐かしいです。
〔マラーのお風呂〕ソテリアから借りれると期待していたら、まさかの破損でした。
東京ソテリアエンプロイメントのTomitaさんたちが急いで修理してくれ、『マラー/サド』を応援してくれたのが心強かったです。

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