体験レポート(大西 暢夫)

自分はただ自分であればいい。そんな当たり前を、なぜ演じなくてはならないのか。

こんな社会を知ってもらいたいという特別な経験が、強く根底にあるからだろう。

イタリアのプロの演劇集団アルテ・エ・サルーテ。今回の参加で初めて知った。

日本人とのコラボレーションを行うということで、僕は記録という立場で、日本公演のオーディションに参加し、面接会場で各自の思いに聞き入った。

気持ちの奥に秘められた叫びは、多種多様だったが、そこにはみんな絶えない笑顔と緊張があった。そしてふと涙を流す人もいた。

僕は、日本全国の精神科病棟の取材を続け、20年が経過していた。

そこで得た疑問は、なぜこの人たちが何年、何十年と入院しているのかというものだった。互いの事情はあるにせよ、僕にとって受け入れられない現実だった。

病院側の話を聞いていると、それらしく聞こえてくるが、イタリアの話は、嘘のような夢物語にも聞こえたが、そこに未来があった。

彼らは決して特別なことを言っているわけではなかったのだ。

20年取材し、日本の精神科医療は、今後、どこに向かい、何を追求して行くのだろうと考えるようになった。

以前取材した病院に久々に行くと、あの時、院内で出会った患者さんから声がかかる。嬉しいような嬉しくない再会なのだ。

「あれから退院もせず、ずっとここにいるのよ、あの時、写真を撮ってくれてありがとう!」と言われた。この患者さんたちは、経験をしながらも表現できる場には出てこれない。

しかし今回オーディションを通過した人たちは、経験もあり、身をもって演じて行くのだろうと思った。それは知ってもらいたいということだけではなく、医療そのものに対し、言葉にできなかった彼らの思いを演劇という表現に切り替え、訴えかけようとしていた。

僕はその背景を知りつつ、その表現の後押しをしたいと思っただけだ。

変われるチャンスが何回もあったと思うが、演劇は、その一つでしかない。しかし彼らが舞台に上がり、自らを演じるということが、大きな時代の変化だと思う。

彼らは変わろうとした。今度は医療がそれに応える番だと思う。

劇団アルテ・エ・サルーテの日本人とのコラボレーションに何らかの波が立つことを期待したい。

と、真面目に書いたが、現実を知りつつ、笑いに変えられたら、一般社会に浸透することが何より早いと思っているだけなのだ。

実は、何かが起こることを楽しみにしているだけなんです。

大西 暢夫

 

 

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