1992年以降、毎年10月10日を世界精神保健デーと定め、メンタルヘルスについての意識啓発と偏見をなくす活動が行われています(世界保健機構: WHO)。我が国においても、精神疾患や精神障害者に対する正しい理解の促進を図るため、様々な活動を通じて普及啓発が進められています。特に、精神障害者福祉の現場においては、「入院医療中心から地域生活中心へ」という方策を、当事者や当事者家族を含めた地域の共通認識とすることが重要となってきています。
特定非営利活動法人東京ソテリアでは、啓発活動を支援する観点に立ち、精神科医療の脱施設化に成功したイタリア共和国での交流を行い、当事者・当事者家族・障害者福祉関係者の意識の向上に努めてきました。数年来継続して全国公募をおこない、有志とともにイタリア・ボローニャに訪問し、現場の医療職、福祉職、当事者、家族が直接イタリアでの取り組みに触れ、日本に持ち帰りその後も日本への援用について各地で議論を重ねているところです。こうした直接的な交流を踏まえた上で、精神障害者支援を取り巻く社会の在り方を検討し続け、地域精神保健の一助になるべく活動をおこなっています。
わたしたちがボローニャのアルテ・エ・サルーテの活動を知り、日本への招聘公演を実現させたのは2018年のことでした。非常にボリュームの大きな事業であるため大変な作業ではありましたが、2018年の招聘公演は精神保健分野だけでなく、演劇界からも多くの注目を頂き、好評のうちに幕を閉じました。その後も多くの反響を頂き、一般社会の中で精神障害への偏見を減らすことに大きく貢献するものと確信し、2020年公演(本事業)の実施を決定しました。障害者アートの枠から飛び出し、一般のアートの中に障害者が活躍していることを示すことにより、新たなアートの可能性を認識することにつながると考えたのです。一般市民に対し、アートを通しメンタルヘルスを考えるきっかけを提供するという点において、今までにない保健医療福祉と芸術のコラボレーションであるため、その効果に期待をしました。また、保健医療福祉と芸術双方において、今までに関係を結ぶことが少なかった領域が双方結び付くことにより、今後の展開も期待できると考えました。
さらに本企画では、各公演に日本人の出演者を加えることを予定し、準備をしました。出演者の属性は精神障害者当事者および、精神保健領域で従事する医療職および福祉職です。日本人が参加することにより日本人の観客にとって本公演が「外国の出来事」ではなく、「自分のこと」として感じられるのではないか、そう考えました。また、日本人参加者の参加までのエピソードとその心理的背景を共有することが日本の精神保健の現状の普及啓発につながるとも考えたのです。そして何より、参加する日本人参加者のリカバリーに繋がればこれ以上嬉しいことはありません。
精神障害者当事者と精神保健医療従事者が対等に舞台に立つことで、日本でも今後精神保健領域に演劇等の芸術活動が根付くための一助となるだけでなく、演技指導を受けボローニャの精神障害者のプロ演劇集団とともに舞台にのぼることで、障害者芸術の質の向上につながり、ひいては共生社会の実現につながることを期待しています。
本企画では、「マラー/サド(マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者によって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺)」を演じます。精神科病院に収容されたフランスの貴族サド侯爵が、革命の指導者マラーの死を題材に入院患者とともに演じる劇中劇です。自由を求める民衆の姿とそれに応えようとするマラーの葛藤が描かれています。ナンニ・ガレッラによる演出では、歌や行進、スローガンを掲げた幕などの仕掛けが用いられます。劇中の患者役を、実際に精神障害をもつ当事者が演じることで、フィクションとノンフィクション、舞台と現実とが重なり合って展開します。思想や階級によって抑圧された人々が自由と解放を訴える本作品は、心身や環境などさまざまな理由で排除された人々から発せられる社会へのメッセージそのものです。
日本では精神保健・医療福祉の施策が進められるなかで、精神科病院から地域への患者の退院目標は未だ達成しておらず、地域での差別や偏見など、当事者の望む支援や生活が十分に与えられているとは言い難い現状があります。一方イタリアでは、1978年の精神保健法(バザーリア法)により精神科医療の制度を改革し、精神科病院の廃止や、患者の自由意思による治療といった、先行的な取り組みが行われています。芸術分野においても社会活動としての演劇が大きな役割を果たしているのです。劇団員たちは精神障害と向き合いながら地域で暮らし、そのなかで生じた葛藤を自由な感性をもって舞台上に表現しています。障害者芸術としての活動の枠から飛び出し、プロとしての芸術活動の中に障害者が活躍しているのです。その豊かさに私たちは強く心を揺さぶられたのです。精神障害者にとっての芸術活動が、セラピーとしてだけでなく芸術として評価されることにつながるものであることを示唆しています。精神障害者が日頃感じている抑圧や被差別の感情により生じた葛藤を自由な感性をもって舞台上に表現する姿は、真の芸術の価値そのものを考察するに値します。
精神科病院のない国イタリアとの協働という点で、企画のもつメッセージはより鮮明になり、精神科病院大国、精神科の多剤大量処方の問題を抱える日本にとって、本企画の実施は非常に意義深いものがあります。精神科病院の長期社会的入院については本国も動き出し徐々に変わろうとしています。そのような今だからこそ、この企画が持つ意味は多くの人に響くものと信じています。