イタリアの精神医療改革、そして、精神病院の廃絶に尽力を尽くした精神科医フランコ・バザーリアが、ゴリッツィア精神病院長の地位にあった1969年、妻であるフランカ・オンガロと共に編集をし、出版した写真集『Morrire di Classe』 (階級による死)がある。二人の写真家C.チェラーティとG.B.ガルディンによって、精神病院の内部が撮影され、そこに映る治療という名のもとに社会から疎外され自由と尊厳を奪われた人々の姿は、その後のイタリア精神医療の改革運動へ大きな影響を与えた。この写真集は、多くのテキストと共に構成されており、その中で、「マラー/サド」の原作者であるペーター・ヴァイスによる同作品の一節が引用されている。それは、演劇の中の虚構の世界を演じるべき収容者(役者)達が極度の興奮状態に陥っていくことを咎め、保護施設での療法がいかに社会にとって有効であるということを力説する病院長の台詞である。バザーリアは、この写真集の冒頭で、精神病院の倫理そのものの根拠と現実、人間の主体性と施設化される身体、治療・保護の場と社会との分断を問うている。
およそ5年前、初めてアルテ・エ・サルーテ劇団の作品を観劇した。公演終了後、月明かりが差す劇場の中庭で、劇団員達と挨拶を交わした。彼らは、皆、とても優しく、控えめな誇りを持っていた。ある一人の劇団員が、彼が演じた役柄が自身の身体へ転移していった稽古期間中の経験を懸命に語ってくれたことが印象に残っている。
その後、東京ソテリアとアルテ・エ・サルーテ劇団との日伊共同プロジェクトが開始し、演劇という特異な芸術活動と多様な主体的表現の<出会い>が生まれた。
私達は、今日の立場から歴史を回顧する。過去と現在、自由と疎外、生と死、社会と個人、革命と制度、理性と狂気、施設の内と外。ガレッラ監督による「マラー/サド」が放つ、時代構造が多層化し、現実と虚構が交錯した劇中劇の中で語られる出来事は、役者達の身体を介在し、今、私達がこの時代に「どのように生きるか」という問いへの提起となっていく。
もし、芸術に残酷な面があるとすれば、それは、完成し残った「作品」のみでしか、多くの人々の評価を得られないことかも知れない。しかし、私達は、その背後に無数の葛藤と伝えられなかった声があることに気づかされる。それらは、歴史上の改革の最中にいる時とどこか似ており、無数の届かない声が、人と人とを繋ぐ変化の根源になることを忘れてはならない。そして、世界的な感染症流行の最中、時には、立ち止まり、試行錯誤しながら、このプロジェクトを続けてきたことが、他の何かへと生まれ変わっていくことも。
このプロジェクトに関わる中で、あるボローニャの関係者が、「アルテ・エ・サルーテ劇団の活動は、まさしく、バザーリアが望んだ活動の一つのかたちであろう。」と言っていたことを思いだす。それは、決して、帰結せず、葛藤と共生を繰り返し、常に変化していく精神保健と芸術の融合であり、もし、その強さを私達がこれからも信じることが出来るとしたら、きっと私達の未来を支えていくものとなっていくことに違いない。
栗原和美
正解のない嵐の中を、ただただ歩み続ける日々だった。
2018年の招聘公演後、抜け殻のようになった数か月後に、再招聘公演は決定した。そこからの2年半。多くの仲間ができた。精神保健だけでなく芸術分野の多くの方に出会わせていただいた。オーディションで各地の仲間を募った。合否をつけるという普段はおこなわないようなシビアな局面に立ち会った。稽古を開始した。と思ったらコロナ禍がやってきた。思うように会えない、話が進まない、決まらない・・・。試練の連続の中、多くの仲間が悔しい思いをし、涙し、笑い、そして私自身多くの人の叱咤激励を受けここまでやってきた。
ここまでの道のりを決して忘れてはいけない。多くの人の思いをすべて芸術に昇華できるほど美しい道のりではなかった。
この映像を見る皆さん、そして放映会に集まる皆さんも、今日この場に集まるまでに多くの出来事があり、様々な気分でこの企画と出会っていただくことだろう。
それらの経験の交差自体が新たな対話を生む。新たな対話は新たな思考を生む。新たな思考は新たな文化を作り、社会を変えていく一筋の光となる。
Covid-19が世界中に蔓延する中、奇しくも現代の社会において「自由」を問い直す映像作品を世に送り出す。それは2018年の招聘公演とは違った意義をもつ。
「Matti sì, ma schiavi no! Ora noi cantiamo un po’.
障害はあるけど奴隷じゃない! ちょっと歌ってみせましょう」
さあ、私たちの舞台が始まる。
塚本さやか
2018年、アルテ・エ・サルーテ劇団「マラー/サド」に出会った時、精神科病院の檻の中で響き渡る歌声を聴いた時、きっと多くの人が涙を流しただろう。私もその一人であった。同時にこの鑑賞体験は、尊厳を取り戻すために、必死にもがいた月日を思い返すことと等しくもあった。「不自由」を自覚させられるまで「自由」の意味を知らなかった自身への衝撃。そしてただ生き延びる、ということの重み。「私は自由だ!」という実感は、この社会で排除された経験を持つ他者と生き延びる過程でしか見つけられなかった。すぐれた芸術表現は、想像力を刺激させる。想像力は物語を新しく紡がせ、現実を見つめ耐えうる力となり、この身体は息を吹き返す。檻の外で他者と出会い続ける、より愉快に生きていく―それが成り立つ場を創り出すことが生き延びた者の責任であるとわたしは思う。
この作品を日本で生きる人々が演じた時、何が起こるのかを心待ちにしていた。支援者・被支援者・鑑賞者・被鑑賞者という枠組みが揺さぶれるに違いなかったから。このプロジェクトの中でどう自身を位置付ければ良いか、未だにわからない。合唱練習でピアノを弾く。冊子の編集作業をする。戯曲作りに参加する。映像に字幕を入れる。非専門の経験から学び振り回されるのも楽しかった。皆さんと交流できたこれまでに感謝申し上げます。
長谷川志帆